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33件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 南国市 地震・津波

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宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日午の刻、地震が発生し、これに伴い津波が起こり、前浜の東の古湊の切戸を押し切って大潮が北上して伊都多神社の前から東の窪まで来た。人々は、大藪のなかに畳や筵を敷いて日夜を過ごしたり、遠く北へ走って立田村・岩村の辺りまで逃げた者もあると... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日午の刻(正午)より揺れはじめ、これに伴い津波が起こり、前浜の東、古湊の切戸を押し切って大潮が高く北上して、伊都多神社の前から東の窪まで来た。人心は恟々として大藪の中に畳や筵を敷いて日夜を過ごし、あるいは遠く北へ走って立田村岩村の辺... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震と津波。立田上咥内(かみこうない)あたりの物部川堤防が切れ、田畑は荒れ地になった。前浜の東、切戸を津波が押し切った。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震により、南国市の南部一帯は高潮による海水の流入により大被害を受けた。谷陵記には「物部三ヶ一亡所廿四人死、上田村在家中半迄潮入流家少シ、下島亡所、久枝亡所、前浜半亡所、里改田潮ハ家迄、浜改田潮ハ田丁残ナシ、家ニハ中半迄、流家... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震と津波。「田村誌」によると、津波は前浜の東、古湊の切戸を押し切って大潮が北上して、伊都多神社の前から東の窪まで来た。このため、人々は大藪の中に畳や筵を敷いて過ごしたり、立田村や岩村の辺りまで逃げたものもあるという。また、「... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)の津波により、下田村寺家に移っていた正興寺の古文書が流失した。 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

康安元年/正平16年(1361)6月24日4時頃、M8.4の地震が発生した。この地震については「田村下庄正興寺の古文書大塩に流失」の記録が、土佐における唯一のものである。なお、当時の正興寺が田村のどこにあったのかは明らかではない。 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

康安元年/正平16年(1361)6月24日、M8.4の地震が発生した。香美郡田村下庄の正興寺で高潮あり、古文書等多くを流失した。兵庫県、徳島県方面の津波被害が特に大きく、流失家屋、死者が多かったようである。土佐でも被害が起こっているはずであるが、当時の事情を伝... 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

康安元年/正平16年(1361)6月24日、南海道沖大震(M.8.4)、香美郡田村の正興寺に高潮。 続きを読む

康安元年/正平16年の地震

康安元年/正平16年(1361)6月24日、南海道沖大震。高塩、香美郡田村下庄正興寺に上る。古文書等多く流失す。(「日本地震資料」、「土佐国編年記事略」による) 続きを読む

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