33件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 南国市 地震・津波
昭和21年(1946)12月21日午前4時過ぎ、南海大地震が発生した。地震と津波による高知県内の被害は、死者670人、負傷者1,836人、住家全壊4,834戸、半壊9,041戸、浸水家屋5,608戸などであった。この地震は海岸線に大きな影響を及ぼし、室戸岬と足... 続きを読む
昭和21年(1946)12月21日、南海地震により大きな被害を受けた。一方、国分川改修の実現にとっては好機となった。国分川南岸の人々の永年の主張が認められて、昭和22年に地盤沈下の復旧事業として、国分川川口から岡豊村中島の水越までの河川改修が着工された。 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、5日、大地震と津波。「立田村誌」によると、4日では第二震の時の津波が高く、立田近くまで押し寄せてきたため、人々は山田方面に逃げたり、竹藪に畳や筵を敷いて過ごした。5日にも地震が起こったが、夕方になり人々が安心して避難して帰宅して... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日申の刻、大震あり、時々微震は絶えざりしが、夕方に至り雨を催し、最早強震はせざるものと信じて避難者も帰村したるも、なお家には入らず、伊都多神社の境内または路傍等に小家掛けをなし老人小児を寝臥せしむ。 続きを読む
安政元年(1854)11月4日、地震、津波が起こった。琴平神社拝殿前の玉垣には九基に分けて、地震、津波のことが刻まれている。なお、九基のうち三基は順番が入れ替わっているが、これは昭和21年の南海大地震で倒れ、立て直した時に入れ替わったのだろうと宮司が話してくれ... 続きを読む
安政元年(1854)11月4日朝辰の刻に強震があり、津波が起こり、第二震があった。第二震の時の津波が高く、立田近くまで押し寄せてきたという。5日夕方申刻にまた大震があり、微震が続出して絶えなかった。この時の土佐国全体の被害は死者372人、負傷者180人、焼失家... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月4日辰の刻、強震あり、第一震による海嘯は当村東端切戸を打越し、三嶋村下島十八所神社前に至り西流して当村後口川を遡り、西は琴平山東麓に至り、南は今の神道の少し北まで波先至る。第二震の海嘯はますます高く切戸を押し切り、当村と下嶋の境西窪川... 続きを読む