154件のアーカイブスが見つかりました。
条件:愛媛県 伊予市
安政元年(1854)11月3日・4日の地震を前触れとして、5日午後4時頃から大地震が襲来した。「塩屋記録」には地震の様子、死者を含めた被害の状況、被災後の人々の様子などが具体的に記されている。また、「村諸日記」にも地震の様子などが記されている。 続きを読む
嘉永6年(1853)5月から7月中まで干天が続いた。郡中地方でも5月24日から雨に恵まれなかったので、7月8日に雨乞い踊りを行い、12日には浜で千人踊りを行った。8月2日に、70日ぶりに潤雨を得た。(「半窓日記抄」による) 続きを読む
嘉永6年(1853)5月から7月中まで干天が続いた。郡中地方でも5月24日から雨に恵まれなかったので、7月8日に雨乞い踊りを行い、12日には浜で千人踊りを行った。8月2日に、70日ぶりに潤雨を得た。(「半窓日記抄」による) 続きを読む
嘉永6年(1853)5月から7月中まで干天が続いた。郡中地方でも5月24日から雨に恵まれなかったので、7月8日に雨乞い踊りを行い、12日には浜で千人踊りを行った。8月2日に、70日ぶりに潤雨を得た。(「半窓日記抄」による) 続きを読む
享保17年(1732)5月より雨が降り続き、9月になっても太陽を見ず、うんかが大発生し、農作物は実らなかった。住民は山野の青草を食べ、山の蔓の根まで食べた。しかし、一切の青物も食べ尽くされ、高野川村だけで男女170人が餓死した。上灘、高岸、大久保、串村の人々も... 続きを読む
享保17年(1732)5月より9月まで霖雨、淫雨といわれた長雨が続き、うんかが大発生したことにより、作物はまったく実らなかった。この年は江戸時代を通じて双海地域が最も多大な被害を受けた年となった。住民は山野の野草やその根まで食べ、すべての青物が食べ尽くされたと... 続きを読む