154件のアーカイブスが見つかりました。
条件:愛媛県 伊予市
昭和20年(1945)4月18日正午頃、上灘町大字高野川の山林でたばこによる失火が原因で山火事となった。異常乾燥警報発令中のため、火のまわりが早く、その上やまじ風によって火勢を増し、郡内十数か町村の警防団員、地元町民など千人程が出動して消火に努めたが、山林11... 続きを読む
昭和18年(1943)7月、約60日に近い長雨を記録した。河川の被害は甚大で、富貴川、横松川等はそのまま放棄せざるを得なかった。被害は、家屋の流失15戸、半壊11戸、畜牛市場建物2棟・下灘第二小学校・倉庫1棟の流失、水田の流失1.5ha、堤防の崩壊3,060m... 続きを読む
昭和18年(1943)6月~8月は60日近くも降雨があった。この間、7月21日から4日間豪雨が続き、農作物などに深刻な被害を与えるとともに、各河川の護岸などを決壊させ、海岸道路や鉄道及び河川沿いの道路は長期間不通となった。被害は、家屋の流失15戸、半壊11戸、... 続きを読む
昭和10年(1935)3月15日午後7時頃、下灘村大字串字ヌタノモトの山林より出火した。郡内及び喜多郡からも消防団員が出動したが、強風のため付近の山林に延焼し、309町3反余が焼失して、16日午前7時に沈下した。損害11万2千円程度。 続きを読む
昭和8年(1933)9月、津波により、双海町では海岸被害により多数の流失家屋を出し、護岸は壊滅に近い状態になった。旧下灘村の被害は、家屋の流失12戸、半潰21戸、護岸の破損777mに及んだ。天皇陛下より、見舞金が下賜された。 続きを読む
昭和8年(1933)9月、愛媛県の海岸一帯を襲う津波が発生し、双海地域でも海岸被害により多数の流失家屋を出し、護岸は壊滅に近い状態になった。下灘村の被害は、家屋の流失12戸、半壊21戸、護岸の破損777mに及んだ。天皇陛下より、双海地域を含めた各市町村に見舞金... 続きを読む
昭和2年(1927)3月7日、奥丹後若狭湾付近を震源とするM7.3の地震により、東予地方では家屋がかなり強く揺れ、屋外に飛び出す人がいるほどであった。南予地方は微震であった。 続きを読む