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条件:香川県 まんのう町
安政元年(1854)11月4日、大地震あり。家屋がしきりに倒れたので、人々は屋外に避難した。翌5日になって震動は減ったが、草舎で寝食すること10数日にわたった。この地震は翌年の夏まで時々続いた。民屋の破壊は数千戸に達し、讃岐における未曾有の震災と言える。(「仲... 続きを読む
安政元年(1854)6月14日夜9ツ時(12時)、地震により、満濃池の改築樋に水漏れができ、それが原因で7月9日に堤防崩壊した。以来、明治3年に改築されるまでの15年間、満濃池は廃池となった。なお、この地震による人畜の損害はなかった。 続きを読む
安政元年(1854)6月14日夜9ツ時(12時)、地震により、満濃池の改築した樋に水漏れができ、そのため堤防が損傷し、7月9日に決壊し、洪水となった。満濃池は、明治3年(1870)6月3日の改築完成まで、15年間全くの廃池となった。 続きを読む
安政元年(1854)6月14日、讃岐地方に強震があった。この地震で堤防の地盤が緩んだのか、石樋の仕替え普請がずさんであったのか、7月5日午後2時頃、樋外の石垣から水が漏れているのを池守が発見した。翌日から水漏れを防ぐための対策を講じられ、9日には高松・丸亀両藩... 続きを読む
安政元年(1854)6月、地震あり。榎井村の庄屋・長谷川喜平太らが数年を費やして改築した満濃池の樋管から水が噴出し、さらに大雨により漏水が増大して防ぐことができなくなった。7月9日夜に満濃池の堤防が決壊し、那珂郡、多度郡の数村の田は川原と化し、家屋、人畜の損害... 続きを読む
安政元年(1854)6月の地震により、満濃池の大樋管の側壁に亀裂が生じて水が噴出し始めた。修理できぬうちに大雨により、ついに樋底からの漏水が次第に増大して、7月9日夜に池の堤防が決壊した。濁流は田を覆い、家は倒壊して流れ、死傷者数知れず、牛馬の命を失うもの傷つ... 続きを読む